作曲家 南聡 のページ
南 聡
みなみ さとし
Satoshi Minami
作曲家
東京芸術大学大学院修士課程修了。
作曲を故野田暉行、故薫敏郎氏に師事。
第52回日本音楽コンクール最高位、第1回ミュージックトゥデイ国際作曲コンクール入選によってデビュー。
村松賞、文化庁舞台芸術奨励賞を受賞したほか、国際現代音楽協会(ISCM)の音楽祭に2度入選、アジア音楽祭にも入選した。
現在は北海道教育大学岩見沢校教授を経て同校名誉教授、日本現代音楽協会会員、荒井記念美術館評議委員、北海道作曲家協会会員。
特設ページ「南 聡の小部屋」
「Koto Collecyion Today 邦楽展〜邦楽展委託作品による作品集〜 〜二十絃箏未来への展望〜」
邦楽展の最新CD発売中です。南聡作曲「昼 Ⅵ(断章)op.55〜二面の二十絃箏のための〜(二十絃箏 田村法子・坂本ゆり子)収録。
合唱音楽の新たな地平 Part23八ヶ岳ミュージックセミナー 2023
日程:2023年8月4日(金)~7日(月)
会場:川上村文化センター(長野県)
全体日程
8月4日(金)レクチャー「新作を語る」
南聡 五十嵐琴未
聴き手:西村朗
8月6日(日)コンサート(午後2時開演) 一般入場可;入場無料
8月7日(月)シンポジウム「仏教とキリスト教と合唱~日本人の受け止め方」進行:新実徳英
【混声】2023年度委嘱作品 南聡「花屋さん変幻」
指揮:藤井宏樹
ピアノ:須永真美
【男声】2023年度委嘱作品 五十嵐琴未
「地形と気象1 白い道を歩くうちに白い街に出た」
指揮:五十嵐琴未
【女声】新実徳英「O magnum mysterium」
指揮:新実徳英
西村朗「大悲心陀羅尼」
指揮:横山琢哉
2015年の作品の楽譜が無料公開中!
作曲家 南聡から2015年作曲の「ソナチネ~ in the style of traditional tonality」(クラリネット、チェロ、ピアノのための)の楽譜が公開されました。以下のリンクよりダウンロード可能です。
「ソナチネ」フルスコア Sonatine_20220714-Full-Score.pdf
「ソナチネ」チェロパートSonatine_20220714_part-Vc.pdf
「ソナチネ」クラリネットパートSonatine_20220714_part-Bb-Cl.pdf
2020 7/7 札幌音楽家協議会機関紙に発表した論文を公開
PDFファイルにてダウンロードできます
「楽曲分析小考」コンコルデ44号 2000年3月 札幌音楽家協議会機関紙掲載
「楽曲分析の有意性に向かって」コンコルデ62号 2019年3月 札幌音楽家協議会機関紙掲載
「ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンにおける形式統合の実際」 コンコルデ63号 2020年3月 札幌音楽家協議会機関紙掲載
「Koto Collecyion Today 邦楽展〜邦楽展委託作品による作品集〜 〜二十絃箏未来への展望〜」
邦楽展の最新CD発売中です。南聡作曲「昼 Ⅵ(断章)op.55〜二面の二十絃箏のための〜(二十絃箏 田村法子・坂本ゆり子)収録。
詳細は画像をクリックしてごらんください
申込書をダウンロード
「Koto Collecyion Today 邦楽展〜邦楽展委託作品による作品集〜」
2018年 11/20(火)START 19:00
南聡作品展
会場
豊洲シビックセンターホール
全席自由 2000円
2018 7/24(火)
ヴォクスマーナ 第40回定期演奏会
会場 東京文化会館小ホール
入場料 前売り3000円 当日 3500円 大学生 1500円 高校生以下 1000円
2012年10月19日(金)
お越しいただき誠にありがとうございました。
Kitaraクラシック入門講座 北海道の作曲家個展シリーズⅠ
~南 聡の世界~
北海道の現代音楽作曲家を一年に一人ずつ、その作品を集めて紹介する新シリーズです。1回目の今年は、北海道教育大学の教授で現代日本を代表する作曲家の一人、南 聡の世界をピアノ曲から室内楽、合唱曲までの多彩な編成の作品を集め、ご紹介します。絶妙な音の重なり合い、風刺的でありながらどこかユーモラスな南 聡の作品をご堪能ください。
会場
札幌コンサートホール Kitara 小ホール
料金
全席指定
一般3,000円
学生1,500円
▼KitaraClub会員▼
一般2,500円
出演
作曲:南 聡
指揮/大木秀一、横山 奏
ヴァイオリン/佐藤まどか
ヴィオラ/藤原歌花
チェロ/多井智紀、フリーデリケ・キーンレ
フルート/多久潤一朗、按田佳央理
クラリネット/三瓶佳紀、斎藤友太
トランペット/山崎 聡
打楽器/真貝裕司
ピアノ/石田敏明、尾崎友香、小山雪絵、鹿野真利江、藤元貴子、鎌倉亮太
合唱/Baum
プログラム
南 聡:
典礼(水晶石) (1973)
青白い樹 (1974)
ピアノ/藤元貴子
2つの小品 (1974)
習作1番 (1975)
ピアノ/鹿野真利江
帯/一体何を思いついた? 作品39 (1998)
フルート/按田佳央理、チェロ/フリーデリケ・キーンレ、ピアノ/石田敏明
波はささやき3・室内ソナタ 作品59-3 (2011-12) 【新作初演】
指揮/横山 奏、ヴァイオリン/佐藤まどか、チェロ/多井智紀、フルート/多久潤一朗、
クラリネット/三瓶佳紀、ピアノ/小山雪絵
ピアノ小品「折り込み図Ⅰ」 作品52-2 (2006)
ピアノ/尾崎友香
鳥籠の中の変貌3・室内協奏曲 作品56 (2008)
指揮/横山 奏、ヴァイオリン/佐藤まどか、ヴィオラ/藤原歌花、チェロ/多井智紀、
フルート/多久潤一朗、クラリネット/斎藤友太、トランペット/山崎 聡、
打楽器/真貝裕司、ピアノ/小山雪絵
混声合唱とピアノのための組曲「奇想マドリガル集」(2009)
指揮/大木秀一、ピアノ/鎌倉亮太、合唱/Baum
※「波はささやき3・室内ソナタ」作品59-3に出演を予定しておりましたクラリネット二田 浩衣は、都合により出演できなくなりました。代わって、三瓶 佳紀(札幌交響楽団首席クラリネット奏者)が出演いたします。
なお、変更に伴うチケットの払戻しはございませんので、ご了承ください。
1955年7月17日
東京に生まれる。父は日活の脇役映画俳優の紀原土耕。
1960年(4歳)から1966年(11歳)あたり
ピアノ・ソルフェージュを近所の教師より習う。同時に作曲のまねごとも5歳ごろよりしばしばおこなう。
1973年2月
都立新宿高校2年生の冬、作曲を志し、近所の当時東京藝大作曲科の学生・佐原秀一(のちの岐阜大教授)の紹介で当時藝大の講師だった野田暉行に師事して作曲の専門的勉強を始める。
1975年
1年浪人して東京藝術大学に入学。作曲を野田暉行、黛敏郎に、音楽理論を矢代秋雄、永富正之に、電子音楽を南弘明に師事。
1976年
1年次の提出作品《Interference》を野田暉行の推挙で藝大卒業生同人会の作品展「麒麟」に混ぜてもらって発表し、音楽芸術誌に好意的批評を得て実質デビューする。
1978年
最初の管弦楽曲・序曲《URN抄》op.4が藝大モーニングコンサートに選曲され、客員教授だったK.ビュンテの指揮で初演。
1979年
東京藝術大学卒業・この時期、シャンソン歌手・遠藤トム也のために《グレイの雨》《夕凪》などの曲を提供する。
1982年
第1回ミュージックトゥデイ国際作曲コンクール(武満徹主宰)に《プランツⅡ》op.3-2が入選。
1983年
東京藝術大学大学院修士課程を首席修了。修士作品、オーケストラによる観想のための曼荼羅《フレスコ》op.5の自筆楽譜が芸大付属図書館の資料として買い上げになる。第52回日本音楽コンクール作曲部門に弦楽四重奏曲《アリオーソあるいはアダージオの構造》op.9が1位なしの2位になる。
1983年から1985年の間
中川俊郎、内藤明美、久木山直らと作曲家同人「三年結社」を組んで作品発表活動。また、同時期、吉祥寺にスタジオ「スペース308」をコンポーザー・パフォーマーの鶴田睦夫、楽器制作家の渡辺広孝らと構え、ヴォーカル・パフォーマー・内田房江、金属工芸作家・金沢健一、ネオンアーティスト・逢坂卓郎、日本舞踏家・花柳かしほ、映像作家・中川邦彦らと多種多様なコラボレーション・アートを東京周辺で展開する。その他、収入を得る仕事として、映像、スポーツ・イヴェント、芝居、ダンス、コマーシャル等の音楽を多数担当した。主なものとしては源氏物語によるビデオ絵巻「あさきゆめみし」の音楽、国際ロードリレー千葉大会および広島大会の開会式・表彰式音楽一式、などがある。
1986年11月
北海道教育大学札幌校助手に採用され翌年より札幌に住む。
1988年
日本現代音楽協会・日フィル共催コンサートで独奏ハープを伴うオーケストラのための《譬えれば…の注解》op.14-3の初演を、年末の朝日新聞紙上で、その年の記憶に残る成果のひとつにあげられたことにより、若手作曲家のひとりとして注目される。
以降約10年間が作曲家として最も活発に活動した時期になる。
1990年
第1回PMFと同時開催されたPCC(環太平洋作曲家会議)に参加。
1991年
オーケストラ曲《彩色計画Ⅴ》op.17-5が評価されて村松賞。
同年 国際陸上「1991」東京大会の開会式第1部、表彰式、閉会式の音楽監督を務め、鶴田睦夫と共同で作曲する。
1992年
ドイツ・ケルン市での日本音楽週間に作曲家の湯浅譲二、藤枝守らと招かれ講演と委嘱作品9人の奏者のための《昼Ⅱ》op.24-2が初演され好意的に迎えられる。以降、ドイツ、ロシア、イタリアの音楽祭に招かれ自作に関するレクチャーを行い、その他欧米各地で作品が演奏される機会を持った。
独奏者と3群のアンサンブルのための《歓ばしき知識の花園Ⅰb》op.15-5で文化庁舞台芸術奨励賞佳作を受賞。
1992年-1995年
栗山町の札響ひなまつりコンサートのなかで、栗山町の子供の詩をテクストに使った、合唱とオーケストラのための連作《ヤムニウシ・チクルス》を提供する。そのほか、札響の地方公演の中で、穂別町の委嘱により1992年には序曲《穂別》なども作曲した。
1992年から新得町新内ホールにおいて年数回のコンサート企画を17年間続けた。
1993年,
第10回世界ベテランズ陸上競技選手権開会式式典音楽・音楽監督。
1994年
第12回アジア競技大会(スポーツイヴェント)(広島)の開会式(部分)、表彰式、閉会式の音楽作曲担当。
この頃より、バブル崩壊とともに、東京の広告代理店まわりの仕事が激減する。
1996年
京都22世紀クラブの委嘱でピアノとオーケストラのための《彩色計画Ⅹ》op.35を作曲。京都芸大を中心に関西地区の若い学生をオーデションで集めたオーケストラ、グリーン・ユース・オーケストラの企画によって初演。
1997年
ミラノ・デヴェルトメントアンサンブルとS.ゴルリの札幌公演(ハイメス・キタラ共催)で、アンサンブルのための《昼Ⅳ》op.36-2が、南の作品として初めてキタラで演奏される。
1998年
全音楽譜出版より南聡ピアノ作品集が出版されたことによって、グループ・ピアニストが東京カザルスホールでのマラソンコンサートで南聡のピアノソナタ全曲演奏。
1999年
第7回EU・ジャパンフェストに参加し《ミニヨン伝播》が1999年欧州文化首都ワイマール99と《Japan in Berlin 1999 bis 2000》で初演される。
2000年
日本現代音楽主催コンサート《B×C》を制作し話題を提供しプロデューサーとして高評価を得る。
2000年より北海道新聞のコラム・魚眼図を執筆する。
2001年
国際現代音楽協会「世界音楽の日々2001」大会に《帯/一体何を思いついた?》op.39が入選。
2002年
国際現代音楽協会「世界音楽の日々2002」大会に《日本製ロッシニョール》op.29が入選。
2003年
アジア音楽祭2003に《譬えれば…の注解》op.14-3が入選。
同年 最初の作品集CD《ジグザグ・バッハ》がリリース。レコード芸術誌で「準特選盤」に選定される。
この頃より大学内業務が次第に増え、道外での音楽活動が不活発になっていく。
2005年
岩見沢コロフェスタにおいて、増幅された口琴群と合唱群のための《モビールのように》が全国から集った合唱人たちによって初演。
2007年
北海道教育大学岩見沢校准教授に配置換えになる。
同年 札幌市文化奨励賞受賞。および、北海道作曲家協会設立に参加、2007年から2011年まで初代会長を務める。
2009年
南聡歌曲集の出版によって京都で出版歌曲全曲演奏会が開催。
その後、体調崩し、以降作曲活動は控えめになる。
2010年
2枚目CD「鏡遊戯」がリリース。レコード芸術誌で再度「準特選盤」、読売新聞で「記者注目盤」に選定される。
2011年
札幌福岡ジョイントプロジェクト/二宮毅・南聡作品展で札幌市民芸術祭奨励賞受賞。 文屋治実・現代のチェロ音楽コンサートNo.20で南聡のチェロ曲全曲演奏。
2012年
3枚目CD「昼」がリリース。レコード芸術誌で「特選盤」、読売新聞で「推薦盤」に選定される。
現在
北海道教育大学岩見沢校教授。荒井記念美術館評議員。北海道作曲家協会、北海道芸術学会、札幌音楽家協議会、ハイメス、日本現代音楽協会、21世紀音楽の会、日本アルバン・ベルク協会、JASRAC 各会員。
Symphonic Fragment 交響的断片
Minami, Satoshi / Symphonic Fragment
- 楽譜下記より無料ダウンロードできます
楽譜は自由にコピーして使用OKです。
ただし、著作権は作曲者が保有してますので、
無断で別の曲名にしたり大幅な改編変更、転用はできません。
参照音源は市版の響宴Ⅸをご利用ください。
収録 CD紹介
21世紀の吹奏楽 響宴IX~新作邦人作品集~
〈解説〉収録アルバム ライナーノーツより
一般的な中高生のブラスバンドで演奏可能な曲として作曲。
音楽語法は平易だがポップス的要素や民族主義的要素はない。
19世紀末あたりの和声組織に準じて作曲。
楽器用法も極端な音域はなるべく避けた。形式は序奏つきの三部形式。快活な主部と歌謡的な中間部よりできている。
楽器間の音色の対照を効果的にするため、一般的なブラスに比べ、オーケストレーションは薄めである。初演は札幌市立伏見中学校。
ぼくの場合、約10年前に作曲した曲をようやく人前にさらすことができる。という状況のため、他の方のように、今創作に打ち込んでいて大変というわけではないので、今回のコンサートに対して、あるいは自分の作品について、ときどき小文レポートを公開していきたいと思います。ただし、コンサートについてなんか言っても、4人の共通認識ではないことも多々あると思います。あくまでも南の目線です。あまり世の中、東京の音楽事情見えていない人の目線です。よって「もぐらのねごと」として書かせていただきます。
ちらしに
脱「現代音楽」に向って
と書かせていただきました。
今更なんじゃ?と思う人もいれば、南の音楽から「現代」ぬいちゃったら何が残るの?と言った声も聞こえてきそうですが、脱「現代音楽」という概念は、もう一度「現代音楽」をぼく自身として考え直そうという試みです。
たとえば、
①教養主義的に知的な技巧性を主体に発展させた「近代芸術音楽」の概念は現代の音楽文化においてパラダイム・シフトしたか?
ということについて考えてみます。
確かにパラダイム・シフトした、という感覚は、一般的には多く見受けられるようにも思います。その感覚が、今回の脱「現代音楽」という用語を導き出しやすくさせてくれたのですが、これは現代に蔓延する飽和感が生み出した感覚に由来するものでしょう。つまり、この飽和感とは、インターメディアによる音楽の大衆消費社会の確立によって引き出されたモダニズム運動の終焉感覚と言い換えても良いと思います。これは、現代に生きる人の感覚としておそらく「常に」正しいでしょう。
一方、昔、偉い先生が、「作曲家は三善晃くんで終わった」とおっしゃったそうですが、これも実は「進歩主義は飽和点に至った」という意味で、同じ感覚が導きだした発言に感じます。このことから、どうやらこの感覚は、実際社会の表層として「常に」当然のようにあるものではないかなと思います。なぜなら表層の現象の理解は、現在から過去を展望し観察し解析することで得ることが主なわけですから、常に現在が飽和点のはずです。さらに加えれば、本質的に未来は常に想像的であり創造的視点を要求されるため結果がなく現象に加担できないのです。ですから、実はモダニズム運動とは、大多数の人たちが、過去の参照から未来に対して容易な想像を共有するという、いささか楽天的な幻想にひたることができた状況にすぎなかった、と過去を展望することで認識することが可能になったという状況が、パラダイム・シフト感覚をもたらした、とその感覚の「正しさ」について説明したいと思います。では、本当にその感覚どおりにパラダイム・シフトしたのか、ということをチェックしようとするならば、もう少し立体的な視点も必要になるでしょう。
今回の用語、脱「現代音楽」をもたらした、社会現象としてのモダニズム運動と連動していた「現代音楽」が終わった状況でしばしば語られる「音楽文化の西洋芸術音楽からのパラダイム・シフト」は、社会史のなかで「常に」用語を微妙に変化させつつ繰り返され続けている現象とおおきな質的変化はないのだから、観察や解析よりも想像に重心を置く作家たちにとっては特別な問題ではない、というのがぼくの立場です。すなわち芸術音楽という営みの本質からいくと、それがどうした?というだけのことになるかなと思います。
少し具体的に説明しますと、芸術音楽の定義は、その容量の規模のため個人差があります。したがってぼくにとって、を前提に進めさせていただきます。芸術音楽などの「文化的所産」は人間の「あそび」の領域での出来事です。「あそび」は高度な知能によってもたらされる行動で、生体の維持に直結しないものです。しかも「あそび」は創造性と直結し、繰り返し可能な規則性と、その規則性の予測を越える結果がしばしばもたらされ、適度な刺激が発生することによって成立するものです。
ですから学問も探求というその本質は「あそび」であり、文明的有用となるのは結果の話にすぎません。ましてや「芸術」は「あそび」以外の何物でもないわけです。
ここでもし、知的な技巧性を主体に発展した「近代芸術音楽」の在り方の方向性が現代を迎えてパラダイム・シフトした、と言ったとき、「あそび」の持つ「知的要素による発展」という運動の拒否を意味する、すなわち、「あそび」の拒否が起こったと言っているように思えます。はたして人間は「あそび」をやめられるか?それは生体の維持が困難にならない限り無理でしょう。
「あそび」には刺激が一番の根底的不可欠要素です。ゆえにスポーツはスリリングな刺激をより効果的にもたらすために、規範、ルールをも変更しながら発展していきます。
「新しければよい、というわけではないが、新しくなければ意味がない」というモダニズムの本質として紹介されるこの言葉も、少なくとも常に新鮮な刺激との出会いを求めるこの「あそび」の掟に則しており、モダニズムに縛られた言葉でもありません。もし、狭い意味との差異を求めるのであれば「新しさ」の意味にあります。かつてそれは氷山のように海面上の部分だけで捉えられてきたのですが、実体としての海面下の巨大構造が明らかになり従来の用語の概念におさまらない事実が発覚した、というレトリックで説明しても良いかもしれません。
刺激をもたらす「新しさ」は、階層化した多層構造の中にあります。それらを識別するキーは依然として、キーであるがゆえに知的操作を要求しています。つまり、本質はかわれない。
では、何がぼくにとって脱「現代音楽」なのか、というと、「現代音楽」がアカデミズムの中に居場所を見つけ良い子になってしまったから雑菌であるぼくは困ったぞ、ということです。遊びの刺激は規範の順守からだけでは生まれません。良い子だけではなく悪役の「掟破り」が必要です。やはり雑菌ですから悪役希望というわけですね。さらに先に記したように現象的には「現代」は常に飽和状態です。そこからの逸脱を求めて脱「現代音楽」なのだと・・・たったこれだけのことのためにこんなに文字使ったの?とあきれられそうですね、ねごとだから許して下さいな。何より思考の経過のほうに意味が多少あるとも思いますので。
ここで「癒しの芸術」というのはあるのだろうか?という問を起こします。言い直すと、世間巷には「癒しを求めての新しい作品」なるものが、ポスト・モダンの用語とともに出てきます。そんなのありか?ということです。
人はどのような時に安心感を持つか?というと既知の事象に囲まれたときです。単純な例でいうと、知らない人に囲まれると不安になりストレスを感じますが、知っている人に囲まれると安心感に満ちます。生物なのだから機能として当たり前です。ここから語れるのは「既知だから癒される」ということです。「芸術に癒される」ということは「過去の芸術作品」にこそ当てはまります。具体例を示せば、「モーツァルトの音楽を幼少期より多く聴いてきた人が、モーツァルトの音楽に癒しを感じる」というのは自然な原理だということです。よってクラシック音楽の効能に「癒し」効果を語られるのも、この機能がゆえに間違いないことでしょう。
「芸術に癒される」それは「あり」です。でも「癒しのための芸術」というのは、上記に示したようにその効能から「既知感のための既知素材による芸術である」と表明したものになると思います。そうすると明らかに「癒しを求めての新しい作品」という言い回しは矛盾していると思います。それらは新しくない、いわば非創造的産物にすぎないレプリカの範疇、と考えます。確かに80年代レプリカの価値基準の転覆を図る動きも確かにありました。しかし、それらがデュシャンの「レディ・メイドに見出した」概念を超えてはいないと思います。非日常の中に置かれた日常、あるいはその逆、といった異化作用を超えた新たな概念を提出したわけではない、というのが僕の見解です。そして音楽の場合、ほとんどそこにすら至らなかった
貧しい技術の展示を味わうことが多かったように思います。結局のところ基本として、「既知感のための既知素材による芸術」は芸術が創造的である以上は有効ではありえないと思っております。
それでも人々はこのころより文明に疲れを感じ、ストレスの幅のない「芸術」として「癒しのための芸術」を夢見て求めたのも事実でしょう。ゆえに、シュニトケの万華鏡様式やB.A.ツインマーマンの多くの引用を用いた作品に注目が行ったといえます。そして、多くの聴衆がこれらの作品に好ましいと耳をそばだてたのは、その作品に仕込まれた異化作用よりも既知の音響が次々現れる現象のほうだったようにも思う、というのは言い過ぎでしょうか。
でもよいのです。
ストレス幅のない、というのはあり得ないとしても、ストレス幅の少ない、つまり「乗り越えられそうと予想されるストレス幅の形成」、という表現技術の開発を「創造的芸術」にも時代が求めた、というとらえ方でこの「癒しの芸術」という用語の真意を語ることができると思うからです。
この「乗り越えられそうと予想されるストレス幅の形成」ということを、僕はほかの言葉で「誘惑するための技術」という用語で語りたいのです。
化粧で誘惑する、というかんじかもしれませんね。ひょっとして悪徳です。たとえば薬を飲みやすくさせるために開発されたゼリーのようなもの、それがたとえ劇薬毒薬の類でもOKってね。ほら。
そんなわけで、
僕の作品に「癒し」を求められてもありません。が、「癒されそうかも…?」といった「誘惑」はあるかもしれません。それに乗って、是非、ツツモタセに引っかかったおじさんや、ジェリーが仕掛けた花火をドカンと口中で爆発させてしまってバタンとなったトムの気分を味わっていただけたらそれはそれで嬉しいなあ・・・
でも最初から「刺激」を期待したら、それは、まあ・・人それぞれかな・・・とりあえずね。
ほどほど刺激的。
「えっ?あっ、そうでした!」進歩ありませんね。以前札幌での個展の折にも似たこと書きました。自己の態度表明なので、どうしてもそうなってしまうんですね。
居直ってさらに重ねましょう。今回言うところの「誘惑するための技術」は、前回の時に書いた「計測可能な“変”は美しい」という審美観のうえに成り立っていますから。
そこで、
今回は、このあたりをもう少し自分勝手に書いていきます。
基本的にアートの「美」は、人間は生物なのだから、結局のところ異性の選別の方向性に準拠しているのでは、と思っております。それは、判り易く視覚的問題に取り換えて言うと、生物自体の形態は、本質的にキラリティを持っていない左右非対称的存在なのだけど、対称性を持つと、より生存に有利な状況を得るため、種の保続のため対称性を得ようとする、という方向性だと思っています。すなわち太っていようが痩せていようが美男美女の傾向は、身体の左右対称の方向性にある、ということです。
まてよ、たとえばピカソの「泣く女」の顔はひどい非対称的だけど「美」じゃないか、と言われそうですね。そう、人間は生物だから、完全な対称な造形に対して、同じ仲間、つまり生体としての識別を持たないのです。完全な対称、それはロボットさんですね。要するに均質で無機質な、いわゆる自然の美の範疇になってしまうと思います。
アートの「美」は、人間の創造で、神の創造とでもいえる自然の美に対極するものと考えています。例えば機械的リズム運動も単に無機質的持続では、美的興味をそそらせることができません。つまり、アートの「美」は非対称的本質が対称性を希求し近づきつつも崩壊部分を持っていることが肝要だということです。その崩壊部分が「希求の方向性」に対抗し緊張感を形成することによって「美の多様性」が生まれます。具体的に言えば、先ほどの無機質なリズム持続に肉体的抑揚が垣間見られたとき、有機的リズムの認識によって美の生成が起こる、ということです。 J.S. バッハの対位法の妙技も、その使用される主題が非均質的運動を持っていることが、対位法的組み立ての妙味になると思います。ただの同音反復だけや順次上行や下降だけの音型だったらばかばかしいだけ、というのがぼくのスタンスです。
「変」はこの崩壊部分の規模によって感得されるもので、これが単に崩壊しているのではなく、「希求の方向性」と関係項を作るというのが、「計測可能」ということになります。
現実的には、ぼくの場合、もう少しその関係項は狭く、その「美」が保証されてきた過去の遺産からの距離の計測が可能ということになるのでしょうか。そして、そこに緊張感が生まれなければ面白くない。「変」が単に「変」なのではなく、その「変」が「計測可能」であることが、ぼくにとって興味深いのです。「変」が計測のための詳細な観察を要求し、それによって美しさに至る、ということです。「美」は常に詳細な観察より生まれるのですから、正当な手続きでもあるとも思います。
…—「泣く女」好きです。かわいいじゃん。
今回の作品では、ことのほか「舞踏的運動」という部分で「変」の計測が求めやすいと思っております。オスティナート状のリズム運動が曲の個性に著しく貢献しています。が、それは「変」を計測する重要な因数 / ファクターでもあるのです。そして、それがオスティナート状であるがゆえに「誘惑」に適している、のです。何より人は、音楽を「記憶を活用しての時間遊泳」として体験するので、このオスティナート状という反復が、曲の中で「変」を得るために、どのような仕打ちを受けるかを、傍聴し易いのだ、ということです。
このあたりのこと、 10 年前の作曲当時のノートには、
「舞踏のための音楽 / 肉体的運動と機械的パッチワーク構造とが多層化していく」だって。
本当かなあ。
僕の音楽とマニエリズモを引き合わせたのは、石田一志先生だったと思いますが、多分に初期の作品に《フランチェスコ・パルミジアニーノの手》というタイトルの作品があったことにも拠ると思います。 このタイトルはマニエリズモ時代の画家、パルミジアニーノの球形の鏡に映った自画像に由来します。具体的には、その自画像の特に、手前に置かれた手が球面によって異様な形状に変化している様を示した、タイトルでした。
当時、球体に映ったものを模写するという技巧性と、妙に子供っぽい顔に変形されてしまった頭部にみられる自身に対する美意識というか自己愛に興味をもったということで、実際には、曲との具体的関連性もなく付けたと記憶しています。
しかし、その後マニエリズモの用語は、しばしば僕と組み合わされてきました。
マニエリズモというと、故八村義夫さんが好んだ、あるいは標ぼうした、時代の精神的危機から起こる奇想性や退廃性、あるいは陰惨な美、といった衣装を常にまとっているので、自分自身はそれらの持つ異形ぶりは好きだけど、その衣装はちょっと自分とは違うな、と感じていました。僕はそんなに、表現主義的に内奥のなんとやらを白日の下に引き出してうんぬんというのは、ちょっと性に合わないかんじなのです。
そんなおり、若い友人の一人、杉山洋一くんが、彼が大学生の頃ですが、マニエリズモは語源的には、マノ(手)あであり、この用語には本来、単に「技法主義」的意味しかない、と看破して語ってくれました。自分の隣にひっついたこの用語の解釈として、まさに我が意を得たり、の思いになり、その後は積極的に付き合うことになったのです。そして、この「昼」とタイトルした、「再作曲」をコンセプトにしている作品群のスタートにもなりました。
今回の《昼Ⅴ》も、まさにマニエリズモ:技法主義が意識された音楽と言ってよいでしょう。まず、自作の過去の二つの作品が編みあわされていきます。イメージとしては、異なる体系の衝突みたいな感じなのです。二つの作品とは《彩色計画Ⅷ》と《帯/一体何を思いついた?》なのですが、この二曲にそもそもの音組織上の接点はありません。しばしば、機械的に裁断されてパッチワーク状に編みあわされたり、完全にブレンドさせて、新しい和音体系になったりして、そこから新たに別の音楽が発展していったりしています。これが再作曲という再構成方法であり、しばしば機械的操作の部分でもありました。
一方、この曲では、典型的なオーケストレーションの用法を、引用する技法として、まさにマニエリズモを地でいった作法として、ことのほか意識的にやっています。まさにパルミジアニーノがラファエロから書式や形状を引用してさらに独自のものに昇華させたようにです。
それは内的精神の高揚というより、変態的技巧への執着としてです。
この執着は、まさに公明正大であることへの拒否、いわば「かぶいた」精神によるもので、
そして、それはいたずらっこのそれとあまり変わらない程度の屈託ない幼児性を伴った好奇心のなせる業です。
結局こうやって、自分にまとわりついた用語は、自分と仲良くやる関係に結局なってしまった、ということの証拠としてのこの曲があるのだ、と今は感じてます。
その後の
ポスト・モダンも自らはあまり感じていないのだけど、やはりつきあっちゃうのでしょうね・・・
しかし、これはことのほかぼく自身の中でも曖昧なままです。
元々初期において、平面的で静止的な、言い換えると図形的音像を構想し作曲することが多かったことも関係しています。若い頃そもそもアレグロな楽想を作曲することに違和感がありました。特に日本人気質を意識して、なのだろうと思いますが、ゆったりとした時間の流れや、「間」を感じることに美感を満足させていたところがあります。
それが、少しずつ、変化していったわけですが、その契機に楽曲分析への疑問なども関係しています。
楽曲分析とその分析結果は、学問的絶対性を持っているように思われがちですが、実のところ、「楽曲解釈」、すなわち、分析者がその曲をどのように理解したか、という個別的なものであり、その解釈は、多様な演奏方法の可能性をもたらすのと同等に、「絶対正しい」解釈はない、という事実を理解したことによります。
たとえば、 20 世紀初頭の有名な学者、シェンカーによる、ベートーヴェンの第 9 交響曲第 1 楽章の第 1 主題の分析的解説とベートーヴェンの最後のピアノソナタ、作品 111 のハ短調ソナタ第 1 楽章の第 1 主題の分析的解説との間にある矛盾などは良い例です。
この二曲の主題構造はいずれも「冒頭動機部分から序奏的敷衍による高揚が作られて本体のカデンツ構造楽想が出現する」という同じ仕掛けの構成になっています。正しく言うと、ベートーヴェンは、ピアノソナタで実験準備したことを交響曲でより洗練された形でアイディアを使い直した、ということで、熱情ソナタと第 5 交響曲との関係をあげるまでもなく、彼の標準的制作態度です。
にもかかわらず、ピアノソナタでは、アレグロに入ってからの「冒頭動機部分」からカデンツまで全体を主題とみなし、一方の第 9 では、空虚 5 度と下降音型の「冒頭動機部分」とそれに続く部分を「主題」から切り離し「主題と不可分の序奏部」として、主題を「本体のカデンツ構造楽想の部分」だけと、全く異なる捉え方をしています。これは、ぼくから見れば、象の鼻を違う捉え方をした矛盾だと思います。つまり、象の鼻はいかに長くその機能が人間の手の役割をしていようが、これは「鼻」だ、という考え方と、その機能は手と同じだからこれは「手」である、という考え方が、一人の学者の中で同居している矛盾です。では、なぜそのようなことに彼は違和感がなかったか、というと、作品 111 にはマエストーソという復縦線で区分した立派な序奏部がその前にあったので、間違えようがなかったからです。この矛盾を理解してか否かはわかりませんが、諸井誠は作品 111 のほうも「本体のカデンツ構造楽想」部分だけを主題とみなす考えを提案しています。しかし「生成していく主題構造」は、ほかのベートーヴェンの楽曲にも多数あり、それらと矛盾してしまいます。結局「鼻」は顔の部分で「鼻」なんですよね。
何が言いたいのか、というと、「楽曲分析」はこれくらい適当なものなのです。まず、用語が不統一で、第 1 主題や第 2 主題などという用語に明確な定義がなされていない、という根本的欠陥がある、ということです。
たとえば、全音刊のラヴェルのスカルボには、三善晃と石島正博の分析が掲載され、この曲の調を嬰ト短調と記しています。暗く不気味な気分、あるいは冒頭を主調と呼ぶのであれば嬰ト短調は正しいでしょうが、全体を支配し帰結点となっているのは紛れもなくロ長調です。実際、彼らが主題 B と言っているのを第 1 主題、主題 C を移行楽想、主題 D を第 2 主題と捉えると、すんなりロ長調のソナタ形式の枠組みが現れますから、言わずもがなでしょう。そして、これは、主調の定義があいまいだからこそ起る楽曲分析の典型的欠陥と言えます。
しかし、こういった内在するソナタ形式を知っても無意味であり、単に弁当箱の中の区分を示した程度にしかなりません。こういった図式的な話ではなく、その図からの動的な逸脱こそに創意の本質を求めようというアプローチに意味を見出したいという話です。
では、どのように、こういった疑問から、異なるアプローチ、いわゆる動的構成を求めるアプローチがあるのか、というと
せっかくなので別の例を出します。
ベートーヴェンの第 9 とブルックナーの第 9 の主題構成が似ているので、ブルックナーはモデルからのまねっこの範囲、と思われがちですが、楽章の中で、全く別の創意によって異なる構築美を形成しており、ここにはあきらかに、ベートーヴェンからの飛躍した独創性が見出すことができます。そしてその形態が、ブラームスがベートーヴェンの第 9 から受け取り発展させたアイディアとかなりの共通項を持ちます。このあたりは仲悪くても同時代性というのでしょうか。しかし、他の二流作曲家たちは、それを理解していないスコアを残しているだけなので、彼らは「それを理解していた」選ばれた少数者だったとも受け止められ、この差異こそ重要なカギと思うのです。
なんのこっちゃ、という感じなので、もう少し具体的に説明すると、ベートーヴェンの第9の冒頭空虚 5 度はドミナント、主題確保でトニカ、展開部の出で再び主調のドミナント(これは展開部が異なる調より開始される古典的セオリーに対してフェイントをかけており、ブラームスの交響曲のソナタ形式における二重提示部にみせかけて展開していく手法の源泉的根拠となっています。)そして再現部で、欠いていた和音の第 3 音を含んでのフォルテッシモ。と「楽想の存在」が、霞が晴れて眼前に迫る、というドラマティックな音楽的ストーリーを構成しています。素晴らしい物語のアイディアだと思うわけです。そしてそのことが、全体の「序」の役割を見事に演じている楽章になっているのです。さすがすごいだ、ですね。
一方のブルックナーは、ベートーヴェンのようにドミナントとトニカで繰り返すかわりに、神聖な3によって分割された 3 種の楽想として第 1 主題を提示しています。そして、何よりも彼は展開部と第 1 主題再現部をブレンドしてしまうのです。そのため、第 1 主題の「本体のカデンツ構造楽想」は展開部の中で、まるで、ハイドンやモーツアルトたち古典派の交響曲に仕掛けられていた「疑似再現」的効果を持って再現されます。そのため、古典的展開部の最後に仕掛けられるドミナントのオルガンポイントは、その後の移行部再現の部分に置き換えられ、第 2 主題再現で、ようやく調構造として正しく再現部に落ち着くという、「ソナタ形式」を逸脱した美しい「独創的なソナタ形式」を示していることに、ぼくなどは、えらく感動するのです。やるじゃないかアントン!
話が長くなりました。が、今、ここに書き込んだ分析への視点こそ、単に平面図的に形式をとらえるのではなく、モデルからどのように楽想の希求に合わせた創意によって変形変態化なさしめるか、ということが「動的構成」へのアプローチの考え方の一歩であり、最初の形式、あるいは構成、構造のモデルからの逸脱をさらに異なる視点から再構築して創意ある形式、あるいは構成、構造を得る手掛かりだと主張したいわけです。
そして、ぼくにとって、静的な構成以外の音楽に積極的に関与していく契機になった、ということですかね。
曲順も決まって(ぼくは1番、みんなあきれて退出しないように….)
気持ちも引き締めて・・なんて感じですが
演奏するわけではないので、もはやまな板上のコイ。
今更何をじたばたできるのであろうか?
というわけで最後の記述ですね。
旋律というのを少し考えてみます。
理由は、作曲というとメロディを作るというのが一般的感覚ですよね
そしてメロディはイメージとして歌、歌うということと直結しています。
現代の作曲家たちは、あるいは現代音楽は歌を忘れてしまった音楽なのでしょうか?
ちょっとだけ検証してみます。
旋律はいわゆるメロディ、もとをただすとメロスmelosの概念と連なっています。
メロスの原意は(音楽の)構成要素、といったところで、プラトンは「分離しえない総体」と考えたにもかかわらず、しばしばリズムの対概念として継承され、発展して、時間の推移を異なる音高が分離することなく連続する状態を指すことになった、という理解で大体よいですよね。しかし、この音高の部分だけで語るのは、実際のところ音楽の知覚認識の本質としては不可能だということもよく知っていることです。つまり垂直関係の音の重なり方、音色(音の成分要素)といった問題と常に有機的関連を持っているからです。にもかかわらず旋律が語られるのは「記号化」されている、ということがやはりとても重要な意味があるのかな、と思いました。つまり「記号化」されることでほかの要素を暗黙のうちに排除し、記憶すると
いう作業が旋律の理解になっている、ということで、ある意味で西洋音楽特異の視点かもしれません
時間上音高自体のみならず音楽の複合的構成要素は時間軸上の持続を決して失うことはないので、旋律いわゆるメロディがない、ということはありえない、というわけです。
そこにあるのは「旋律」としてその輪郭を識別して記憶して楽しむことができない、という単なる個人的問題にすぎません。ただし一個人の問題にこのことを帰着することも乱暴な話です。
要は旋律ではなく歌なのだろうと思います。
最初にイメージでつなげましたが、本質的には異なる概念だと思っております。
歌は人間の声と直結しています。人間の声によって表現可能な持続こそが歌だと思います。
そうしたとき、楽器をはじめとする、現代の発音体は人間の声を模倣しているというより、はるかに独自の発音体系をもっています。その差異が、音楽を歌から逸脱させる、と言ってもよいかと思っています。例えば音色な強度、速度などを出すまでもなく、音域、音程ですら容易に逸脱可能なのです。
でも
「鳥の歌」ていうのがあるじゃない、これは?なんてことは言わないでください、これは比喩ですから。
結局、器楽の発展によって旋律が歌の概念より大きく育ってしまった、ということでしょう。
旋律はあるけど歌はどっかいっちゃった、というのが簡単ながらの結論。
音楽の総体として大きな左右を与えないとしても、
人間が聴くのだから、人間の声によって表現可能な持続を拒絶して曲中から締め出す必要はないだろう、という態度は僕の作品のなかにはふつうに使うことにしています。
それはこの音楽を聴いてもらうための、識別して記憶してもらう曲中の道標の役割を担います。(しばしば、それは裏切りますが・・そういった態度は、ハイドンの疑似再現部の精神です)まあとにかく、人間の声の音域に対して、耳が一番敏感なのも事実ですから、そことの出し入れの緊張も、現代の音楽として大事かな、と感じています。
今回の作品でこの問題をさらに言うと、「歌」は「ふし」があってそれがそうだと理解できる、という事実から、その「ふし」の断片に、上記の役割が行っている、と構想しました。
さて、そう思ってもらえるかしら?
それでは、当日のご来聴をお待ちしております!!